
四式戦闘機は「大東亜決戦機」と呼ばれ、戦局挽回の切り札として期待された。機体のデザインは、一式戦闘機、二式戦闘機を踏襲したオーソドックスなものだったが、戦闘機用の2000馬力級として開発されたハ45エンジンの不調続きで、まともな働きができなかった。また、大出力エンジンのパワーを引き出すために採用された電気式ピッチ変更プロペラも故障が多く、ここでも技術的な未熟さが露呈した。 戦後、米軍が接収して持ち帰った四式戦闘機が、テスト飛行で時速687キロを記録し、米側を驚嘆させた。エンジンには米国製の点火プラグが追加され、高オクタン価の燃料が使用されたとは言うものの、四式戦闘機が高いポテンシャルを秘めていたことは間違いない。中島飛行機は終戦までの1年半の間に、およそ3500機もの四式戦闘機を製造しており、これらがカタログスペック通りの性能を出すことができれば、戦局の挽回は難しくても、かなりの戦果を上げられただろう。機体サイズは、全長9.9メートル、全幅11.2メートルと、同じ誉エンジンを積んだ海軍の局地戦闘機「紫電改」とほぼ同じだった。写真は、群馬県太田市にあった中島飛行機の工場で製造された四式戦闘機の増加試作型2号機(米海軍提供)