四式戦闘機「疾風」


 太平洋戦争開戦直後の1941(昭和16)年12月末、陸軍は一式戦闘機の後継となる新型戦闘機「キ84」の試作開発を中島飛行機に内示した。正式の試作指示は翌42(昭和17)年4月になったが、要求仕様は同社が開発中だった2000馬力級の新型エンジン「ハ45」(海軍での名称は『誉』)を搭載し、最大速力が時速680キロ以上、上昇力は高度5000メートルまで4分半以内、武装は20ミリと12.7ミリ機関砲を2門ずつという高スペックで、しかも1年以内に試作機を完成させるという厳しい条件が付いていた。  中島飛行機の技術陣は陸軍の期待に応え、1年後の43(昭和18)年3月に試作機は完成。テストでは、最大速力が時速624キロ、高度5000メートルまでの上昇時間6分26秒と、要求仕様を下回ったが、戦況が悪化する中、新型機が欲しい陸軍は生産しながら改良することにして、量産を前提に増加試作機100機以上を発注した。翌44(昭和19)年3月には四式戦闘機として制式採用され、実戦部隊が編制されると、中国大陸に送り込まれた。前線では、米軍のP51ムスタング、P47サンダーボルトなどの最新鋭戦闘機とも互角に渡り合い、陸軍上層部を喜ばせたが、量産型が生産されるにつれ、ハ47エンジンの不調やプロペラの故障などに悩まされ、終戦まで確たる戦果を上げることができなかった。写真はフィリピンで米軍に捕獲され、戦後は米本土で保管された後、73(昭和48)年に日本へ里帰りした四式戦闘機甲型(1973年10月05日)