三式戦闘機「飛燕」


 外地では稼働率の低さに泣かされ、目立った戦果を上げられなかった三式戦闘機だが、1944(昭和19)年12月以降の本土防空戦では、東京・調布飛行場を本拠にした飛行第244戦隊が、B29爆撃機を160機撃破(うち撃墜は70機)し、三式戦闘機の高性能を実証した。244戦隊では、川崎航空機から技術者を呼び寄せて隊付き整備員の技術を向上させ、ハ40エンジンの高い稼働率を実現。機体から防弾鋼板や無線機、武装の一部などを取り外して軽量化し、上昇力をカタログスペックよりも上げて超高空を飛来するB29に立ち向かった。  一方、川崎航空機では44(昭和19)年の秋、ハ40の不調に見切りを付け、生産ラインを性能向上型エンジン「ハ140」を搭載した二型改に切り替えていた。ところが、頼みのハ140は技術的な問題が収拾できなくなり、生産がまったく進まなくなってしまった。川崎航空機の工場には、エンジンを搭載していない「首なし」の機体が集積される状態となり、同年中に三式戦闘機は生産中止になった。写真は、飛行244戦隊の戦隊長・小林照彦大尉の乗機だった三式戦闘機一型丁(米海軍提供)。45(昭和20)年1月27日、この機体で出撃した小林大尉は、東京・八王子市上空でB29に体当たり攻撃を行い撃墜した。なお、体当たりで三式戦闘機の機体は失われたが、小林大尉は脱出してパラシュート降下し、生還した