三式戦闘機「飛燕」


 1940(昭和15)年、日本陸軍はドイツのダイムラーベンツDB601Aエンジンを国産化した「ハ40」を搭載した2種類の戦闘機を開発するよう、川崎航空機に発注した。DB601AはメッサーシュミットBf109に搭載された液冷式エンジンで、陸軍はその性能を生かした重戦闘機キ60と軽戦闘機キ61の両者を開発しようと考えた。最初に試作したキ60の性能はいま一つに終わったものの、続いて開発されたキ61は機体の空力的洗練度を追求した結果、41(昭和16)年12月からテストを始めた試作機は、最大速力が時速591キロ、高度5000メートルまでの上昇時間は5分30秒と高性能を発揮し、運動性も極めて良好だった。  陸軍上層部は大いに喜び、すぐさま川崎航空機に量産を命じたが、技術的な課題もあって、量産型が完成したのは翌42(昭和17)年8月にずれ込んだ。その後も生産は遅れ気味で、「三式戦闘機」として制式採用されたのも43(昭和18)年6月だった。写真は、3機の試作機に続き、9機製造された増加試作型の1号機。なお、「飛燕」という愛称が公表されたのは45(昭和20)年1月だった