二式戦闘機「鍾馗」


 1938(昭和13)年、日本陸軍が中島飛行機に開発を命じた「重戦闘機」で、試作発注時の名称は「キ44」。九七式戦闘機、一式戦闘機を「軽戦闘機」と位置付け、何よりも運動性の高さ、格闘戦での強さを求めた陸軍だったが、キ44には速力、上昇力、火力の大きさで敵機を圧倒する「重戦闘機」の役割を期待した。要求仕様は、最大速力が時速600キロ以上、高度5000メートルまでの上昇時間が5分以内、搭載火器は7.7ミリ機銃×2、12.7ミリ機関砲×2というものだった。  中島飛行機は、エンジンに大型機用として開発された離昇出力1200馬力の「ハ41」を採用。ハ41は直径が1263ミリもあるため機首部分が太くなったものの、機体の突起をできるだけなくして空力的洗練性を高めた。主翼は高速を出す目的から薄く小さいものとし、特殊なフラップを採用することで、運動性の不足を補った。試作機は40(昭和15)年夏には完成したが、最大速力は時速550キロ、高度5000メートルまで6分22秒と、性能は要求仕様を大きく下回った。その後、必死の改良で最大速力が時速580キロ、上昇力も高度5000メートルまで5分54秒にこぎ着けた。  陸軍は太平洋戦争が開戦した41年12月、試作機10機をマレー半島攻略作戦に参加させたが、重戦闘機の運用方針が定まっていないこともあって、目立った戦果は上げられなかった。それでも42(昭和17)年2月、キ44は二式戦闘機として制式採用された。一方、中島飛行機は改良型の開発を進め、エンジンを離昇出力1520馬力の「ハ109」に換装したところ、最大速力は時速602キロに向上、高度5000メートルまでの上昇時間も4分15秒まで短縮され、同年12月に二式戦闘機二型として制式化された。写真は二式戦闘機二型甲(米海軍提供)