一〇〇式司令部偵察機


 太平洋戦争序盤にデビューした一〇〇式司令部偵察機二型は、最高速力が時速600キロを超えるだけに、追い付ける敵戦闘機はほとんどいなかった。しかし、連合軍の戦闘機の性能も向上したほか、レーダー兵器などの発達で、戦争中盤以降、一〇〇式司令部偵察機の損害も増えていった。陸軍は1942(昭和17)年5月、さらなる性能向上型の開発を三菱重工業に命じたが、要求仕様は最大速力が時速650キロ以上、航続時間を二型より1時間延長するという厳しいものだった。三菱重工業は、エンジンを水メタノール噴射装置を備えた離昇出力1500馬力の「ハ112二」(海軍名称『金星六〇型』)に換装、機首とキャノピーを一体化させるなど機体の改良も施したキ46三を43(昭和18)年3月に完成させた。  機体サイズは全長11メートル、全幅14.7メートルと、一型、二型と変わらなかったが、機体重量が500キロ以上増加してしまった。最高速力は時速630キロと要求仕様を下回ったとは言え、実用機としては日本の軍用機史上、最高を記録した。キ46三は44(昭和19)年8月に、一〇〇式司令部偵察機三型として制式採用された。一〇〇式司令部偵察機は各型合計で1700機以上が生産され、終戦まで戦地の空を駆け回った。写真は、英国のコスフォード空軍博物館に展示される三型(落水浩樹撮影)。空力的洗練度を追求した機首部分やエンジンナセルの形状がよく分かる(2012年04月06日)