
九七式戦闘機は制式化されると、日中戦争で中国大陸に展開していた陸軍航空部隊に配備された。1938(昭和13)年4月には実戦デビューし、中国空軍のソ連製戦闘機に対しては、空中戦で圧倒的な強さを見せた。九七式戦闘機が最も華々しい戦果を上げたのは、39(昭和14)年5月からのノモンハン事件で、地上部隊がソ連軍の戦車部隊にほとんど素手で立ち向かって壊滅したのに対し、航空部隊は九七式戦闘機の空戦性能を駆使し、ソ連空軍を寄せ付けなかった。 日本軍は、4カ月間の戦闘でソ連軍の複葉のI-15、単葉のI-16などおよそ870機を撃墜したと公式に記録している。ソ連側の記録が残っていないため、この数字を精査することはできないが、格闘戦については九七式戦闘機が圧勝したことは間違いない。ただ、ノモンハン航空戦の後半から、ソ連軍機は格闘戦を避けて、高度差を生かした一撃離脱戦法に切り替え、九七式戦闘機に損害を与えるようになった。一方、日本陸軍の航空部隊は、ノモンハンでの撃墜数に目を奪われ、格闘戦至上主義からなかなか脱却できず、太平洋戦争が始まると、米英の新型戦闘機に苦戦することになった。写真は、福岡県の筑前町立大刀洗平和祈念館に展示されている九七式戦闘機。展示機は250キロ爆弾を搭載した姿を再現しているが、太平洋戦争の終盤、爆装して特攻機に使われた九七式戦闘機も少なくなかった(2011年10月19日)