
日本陸軍は1935(昭和10)年、陸軍機としては初の全金属製単葉戦闘機を競争試作するよう中島飛行機、川崎航空機、三菱重工業の3社に命じた。中島飛行機はキ27、川崎航空機がキ28、三菱重工業はキ33の名称でそれぞれ試作した結果、運動性の高さを買われて中島飛行機のキ27が37(昭和12)年、九七式戦闘機として制式採用された。中島飛行機はキ27の開発に当たり、海軍が既に制式採用していた三菱重工業の九六式艦上戦闘機を徹底的に研究、その長所を取り入れ、さらに発展改良させた。 九七式戦闘機は、外観こそ九六式艦上戦闘機と似通っていたが、機体の空力的洗練性を高めたほか、主翼を左右一体構造にして機体を軽量化、突出式キャノピーを採用することでパイロットの視界を広くするなど、独自の工夫を重ねていた。離昇出力650馬力の「ハ1」型(海軍での名称は『寿』)エンジンを搭載し、最大速力は時速470キロ、高度3000メートルまでの上昇時間2分59秒と、いずれも九六式艦上戦闘機(最大速力は432キロ、高度3000メートルまでの上昇時間3分35秒)を上回った。機体サイズは、全長7.5メートル、全幅11.3メートル。写真は、福岡県の筑前町立大刀洗平和祈念館に展示されている九七式戦闘機で、事故で博多湾に墜落した機体を引き揚げて復元した。九七式戦闘機の実機で現存するものは、この機体しかない(2011年10月19日)