
日中戦争で大陸に進出した海軍航空隊は、航空基地を中国軍機に攻撃され、手痛い損害を被った。このため、海軍は拠点防空用の局地戦闘機が必要と判断し、1940(昭和15)年4月に三菱重工業が開発をスタートさせた。「14試局戦」と名付けられた試作機は、運動性や航続力を犠牲にし、あくまで高い速力と上昇力を追求した特異な海軍機となった。
速度と上昇力を上げるにはハイパワーのエンジンが必要で、三菱は離昇出力1460馬力の「火星」を採用した。ただ、「火星」は大型機用のため直径が大きく、単発戦闘機に搭載すると、太めの不格好な機体になってしまった。しかも、技術的な問題点も次々と持ちあがり、試作1号機が完成したのは42(昭和17)年2月だった。試作機でも視界不良や異常振動などが発覚したが、改良を重ねて43(昭和18)年10月に量産型の配備を始め、「雷電」の名を与えられて実戦投入された。
海軍は局地戦闘機として「紫電」に大きな期待を掛けていたが、エンジンや主脚の不調で思うような働きができずにいた。「雷電」は視界不良や離着陸時の操縦が難しいなど、ある程度の技量がある搭乗員でないと乗りこなせない気難しさを持っていたが、急降下性能と加速性、上昇力は抜群で、米軍の超大型爆撃機B29の迎撃では大きな戦果を上げた。総生産機数は630機程度にとどまったものの、エンジンの換装や武装強化、排気タービンの搭載など、さまざまな改良が加えられた。