零式艦上戦闘機二一型

米ハワイ州のオアフ島・真珠湾にある太平洋航空博物館に展示されている零式艦上戦闘機二一型。二一型は全長9メートル、全幅12メートル、空冷星型14気筒で離昇出力940馬力の「栄」一二型エンジンを搭載し、最大速度は時速533キロ、航続距離は3000キロを超えた。武装は20ミリ機銃2丁、7.7ミリ機銃2丁【時事通信社】



 零式艦上戦闘機は日中戦争から太平洋戦争が終わるまで日本海軍の主力として活躍した傑作機で、「零戦」「ゼロ戦」の名でも知られる。1937(昭和12)年、三菱重工業に新型戦闘機の開発を命じた海軍は、高い速度性能と上昇力だけでなく、巡航速度で連続6時間以上飛行できる長大な航続力を求めた。三菱の設計チームは、胴体と主翼の一体構造などで機体を徹底的に軽量化する一方、引き込み脚や涙滴型風防の採用により空気抵抗を極限まで抑えた。そこに、中島飛行機が開発した離昇出力940馬力の「栄」一二型エンジンを搭載したことで、世界的にも突出した高性能機が完成した。


 海軍は40(昭和15)年7月、試作機の段階で中国戦線に15機を投入。そのうち13機が重慶上空で中国軍戦闘機27機と遭遇し、全機を撃墜しながら、損害はゼロという大戦果を上げた。同月中に制式採用され、同年が皇紀2600年に当たることから「零式」の名称が与えられた。初期量産型の一一型は事実上の陸上運用機だったため、通算67号機から航空母艦に搭載できるよう翼端の折りたたみ機構などを追加した二一型に移行、41(昭和16)年12月の真珠湾攻撃には二一型120機が参加した。


 零戦二一型は高い格闘戦能力を生かして連合軍戦闘機を圧倒し、太平洋戦争序盤の破竹の快進撃を支えた。ただ、機体軽量化のツケで防弾装備が皆無だったほか、機体強度の問題で急降下性能にも制約があった。連合軍が大出力エンジンを備えた新型戦闘機を次々と開発し、格闘戦を避けて一撃離脱型戦法を徹底するようになると、零戦は空中戦で優位を保てず損害を重ねるようになった。